説教

愛の墓を残して旅立つ人生

文鮮明先生自叙伝  より ~平和を愛する世界人として~

死を語らないまま生を語ることはできません。生の意味を知るためにも、私たちは死とは何かを正確に知らなければなりません。どのような生が本当に価値あるものなのかということは、今すぐにでも死ぬかもしれない窮地に追い込まれ、一日でも長く生きようと天にすがりついて泣き喚く、そのような人こそが知り得るものです。それほど貴い一日一日を、私たちはどのように生きればよいのでしょうか。誰もが渡っていかなければならない死の境界を越える前に、必ず成し遂げておくべきことは何でしょうか。

最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。何が罪なのかという問題は、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇することをしてはならないという事実です。良心に引っ掛かることをすれば、必ず心に影が残るのです。

その次に大切なことは、人よりもっと多くの仕事をすることです。人に与えられた人生が六十年であれ、七十年であれ、時間が限られていることに変わりはありません。その時間をどのように使うかによって、普通の人の二倍にも三倍にもなる豊かな人生を生きることができます。

時間を必要度に応じて細かく刻み、一瞬でも無駄に使わずに一生懸命働けば、その人生は本当に貴いものになります。人が一本の木を植えるとき、自分は二本、三本の木を植えるのだ、という勤勉で誠実な姿勢を持って生きるべきです。自分のためにそのように生きよと言うのではありません。自分よりも人のために、自分の家庭よりも隣人のために、自分の国よりも世界のために生きなければなりません。世の中の大概の罪は、「個人」を優先するときに生じます。個人の欲心、個人の欲望が隣人に被害を与え、社会を滅ぼすのです。

世の中のあらゆるものは通り過ぎていってしまいます。愛する父母、愛する夫と妻、愛する子供も通り過ぎていってしまい、人生の最後に残るのは死だけです。人が死ねば墓だけが残ります。その墓の中に何を入れれば価値のある人生を生きたと言えるのでしょうか。生涯かけて集めた財産や社会的な地位は、すでに通り過ぎてしまった後です。死の川を渡っていけば、そのようなものは何の意味もありません。愛の中に生まれ、愛の人生を生きたのですから、生を終える墓の中に残るものも愛だけです。愛によって生まれた命が、愛を分かち合って生き、愛の中に帰っていくのが私たちの人生なので、私たちは皆、愛の墓を残して旅立つ人生を生きなければなりません。

自叙伝の中に記された尊いみ言の抜粋です。私たちは生まれた瞬間から死に向かって生きていきます。それはもっと良い霊界に行くための準備です。先に与え、与えて忘れる人生を生きること、そのようにしながら心を磨き、誰とでも心が通じ合え、人を喜ばせることで自分が喜べる、そんな豊かな人生を生きたいものです。